昨日、とびきり面白い研究会に参加した。
テーマは「大学の現状」。
“日本では、小中高のほぼすべてが大学入試に向けて設計されているのに、小中高の子を持つ親も、また担当する教師も、大学の現状をよく知らない”というテーマ設定で開かれた研究会だった。
講師は某有名大学の教授。
「皆さんの大学時代と今の大学は中身が違います。その辺りから解き明かしていきましょう。」という問いかけでスタート。あっという間の4時間だった。
日本は学歴社会ではなく学校歴社会であること。偏差値の高くない高校では、なぜ成績優秀者が大学に進学しないで就職するのか。学力低下とはどういうことか。学歴ロンダリング(最終学歴を更新して前より高い学校歴を得ること)の実態等など、伸栄学習会にとってとびきりの情報をいただいた。
とても、ここですべてを紹介できない膨大な情報だった。
研究会後の懇親会でも、ちょっと面白い話を伺うことが出来た。
今の大学生はビールをほとんど飲まない。飲むのは主に甘いサワー類。そのワケは?
ビールは苦い。だから、美味しく感じるようになるのは“訓練”が必要。ところが、今の大学には訓練の場がない。昔の飲み会と違って、先輩が幅をきかすこともない。それどころか、異学年の学生とは付き合おうとしない。
しかも、今の大学生は、“つらいこと”は一切しない。
だから、ビールを飲めない………………
ゼミのOB会があるときは、事前に、学生たちを指導するそうだ。
「お前たち、一杯目はつらくてもビールを飲むんだぞ。お前たちが勝手にサワーや何かを頼むと、飲み物が出てくるのに時間がかかるだろう。そうすればOB達をイライラさせる。だから、一杯目はビール。わかったな。二杯目からは好きなものを頼んでいいからな………………」
壮年の学者の目から見た現時点での大学生の生活について論ですが、
いつの時代も、若者と壮年とは相違があるものです。
これはどの時代でも同じなので今後未来永劫続きます。
若者と壮年が違うのは当たり前なのです。それが良い悪いかを論ずるのは、だいたい壮年が自分が若いときと比較している場合がほとんどで、壮年が自分の若いときを棚に上げている場合が多い。
結論に持ってくるまでに、現状の特徴を挙げて、そしてそれの弱点を巧妙に指摘する。
壮年になって若者を批評すること自体がそもそも、自己顕示欲の一種だと僕は思っています。
若者にはその時代に生まれ育ったそれぞれの事情があるのです、壮年が表面だけをみて批評するのが、そこまで偉いのか・・・
そしてその壮年も30年前は大学生だった、そのときは、年長者からきっと同じようなことをされたのかもしれない。
飲み会のマナーでビールやサワーという論事自体が例に乏しいような気がする。
逸材はかならず存在している。それに出会わない、気づかないのは自分の実力不足だとすぐに思わなくてはならない。
なかなか厳しいコメント、ありがとうございます。
若者と壮年の確執はいつの時代でもあると言われています。でも、確執があるということは、文化が継承されている証左でもあるように思えます。
nakanoさんに嫌われるかもしれませんが、私も、敢えて、今の大学生の飲み方にもの申したいと思います。
1つは大して盛り上がってなさそうなのに(そんな酔ってはいなさそうなのに)、大声を張り上げるグループのあること。(ウルサイ!)
2つは飲みはじめから、焼きそばとかたこ焼きなどを注文すること。お酒はおなかがすいていた方が美味しいのに。………(これって、大きなお世話にですね)
飲み会で大声はNGですね。店で他の客に迷惑かけてはいけませんね。
(これは別に大学生だけではないですね。おっさんでもいますよ。)
飲みはじめから、焼きソバ、などを注文することですが、
→僕は、食べながら飲むのがいいと考えているので、ご飯と酒は一緒にしたいのが本音なのです。
だから、店に入るまえに必ず食べています。