塾の団体の主催で埼玉・千葉・東京の公立高校の入試制度改定についての研修会が開かれた。
講師はそれぞれの県の中高協会(私学の連盟)の会長・副会長。突っ込んだ内容の話を聞くことができた。
改めて感じたのは、首都圏の公立高校入試制度改定に共通点があること。
埼玉は平成22年度から改定されるのがすでに決定。千葉は平成23年の予定、東京も同年改定の方向で進んでいる。いずれも、学力試験(ペーパーテスト)がすべての受験生に課せられ、入試日程が遅くなること。
また、問題のレベルも難化しそう。埼玉の場合は、従来、1教科40点だったものが100点になる。それに伴い、難しい問題の配点が高まると見込まれている。
千葉もA問題(難)・B問題(易)の2種類が用意され、高校が選択することになる可能性もある。
「ゆとり教育」の中で子どものが学力低下が叫ばれている。これに呼応して、公立高校の入試でも学力重視が明確に打ち出されることになる。
子どもたちにとって良いことだと思う。
ゆとり教育もよろしいと思います。
ですが長い歴史を見て、その歴史がある教育プランが一番いい結果が出たりする可能性が高いのです。
世界史を見ても、ゆとり教育で成功した巨大国家があったでしょうか。
教育として歴史的に有名なのは
スパルタ教育
科挙の試験制度
世襲
寺子屋
門前の小僧
などなど適当に僕は思いつくのですが、何百年も続いている教育体制を真似るのが一番いいと思います。
どの時代、どの世界でも教育は最重要な項目です。
コメントありがとうございます。
教育の歴史は恐らく人類誕生の時までさかのぼることができると思います。ただ、国家の教育となると話は別だと認識しています。というのは、近代国家が誕生してまだ200年程度しか経っていないからです。
「ゆとり教育」については、私は、後者の枠組みの中で考えることにしています。
私は「ゆとり教育」には反対です。確かに、文科省の主張にもうなずける部分は多々あります。創造力云々というのはその一例です。ただし、私がこれに反対するのは「ゆとり教育」に弱者切り捨ての臭いを感じるからです。
「ゆとり教育」が導入されたときに、3%のエリート論がよく議論されました。要は3%さえしっかり教育すれば、残り97%はどうでもいいという考え方です。
従って、「どの時代、どの世界でも教育は最重要な項目です」という意見に大賛成です。
「ゆとり教育」
というキーワード自体が本来の問題の趣旨と合っていないから議論を生みすぎると思います。(青沼先生の言うとおり、3%エリート論の方が問題の核ですよ。多分)
余談ですが、この情報発信側のマスコミも問題の趣旨が少々違うキーワードを量産しているように思えます。
この青沼先生のブログも誰かしら熟読している人がいるわけですから、議論に用いる言葉には注意しなくてはなりません。
さて自分の書いた前回のコメントですが、近代国家といっても明治から今日までとしても、日本の歴史の中から考えたら10%ぐらいしかないですね。そういえばそうですね。
僕は、銘著を読むという読書が一番勉強になるんじゃないかと思っております。
どんな時代も活字が一番影響力があります。
「言葉」っていうのは確かにやっかいですね。誤解を与えないように注意して使っているつもりです。ただ、それでも、相手を不愉快にしてしまうことがあります。
nakanoさんのおっしゃる通り読書は勉強になります。ただ、最近、私は乱読気味で、読んも次の瞬間に抜けていくような感じになっています。人の話を聞くのも好きだし、そもそも出かけていくこと自体も好きです。
もっと、1つ1つの情報を「味わう」ことが大切ではないかと反省しています。
ただ、『論語』はすばらしいと思っています。これだけは、生涯、ずっと手にしていたいと思っています。