香蘭女学校を訪問した。
同校は立教大学に60名の指定校推薦枠を持っている。かねがね、なぜこんなに指定校推薦枠を持っているのかを知りたいと思っていた。
お聞きしたところ、同校と立教大学はもともと兄弟校として設立されたそうだ。香蘭はイギリスの聖公会、立教はアメリカの聖公会のそれぞれの宣教師によって創立されたとのことだ。
ただ、数年前までは35名の指定校推薦枠であったものが60名になり、さらに来年度からはさらに80名に拡大されるそうだ。これは同校生徒のほぼ半分にあたる。「マジメにコツコツ努力すれば立教大学に進学できる」とのことだ。
同校を訪問してもう1つ興味深かったのが「宗教教育」。
キリスト教系の私立学校はたくさんある。
多くの学校では、キリスト教の洗礼を受けた先生はほとんどいない。だから、実際に生徒と接している先生は、キリスト教の信者ではない。キリスト教を信仰していない教師が教育する「宗教教育」の中身はいったい何なのかというのが、私の昔からの問題意識だ。
宗教の中身は、すべての宗教に共通する道徳律(親を大事にすること、他人に貢献すること、規律ある生活をすること等など)とその宗教特有の信仰から成り立っている。
私学で行っている宗教教育は一体何なのか、つまり、前者の道徳律に留まるのか、それとも信仰に踏み込んだ教育を行っているのか。もし、道徳律に留まるのなら、「キリスト教」とか「仏教」とかを標榜する意味は何なのだろうかという疑問だ。
香蘭でも、ある先生にこの点を質問してみた。その先生は「仏教徒」とのこと。
「他の先生は知らないが、私が生徒に話す『神』とは、キリスト教の『絶対神』とは限らず、『仏様』、あるいは日本的な『カミ』でもあるような気がする」とおっしゃっていた。
同じ質問をこれまで多くの学校でしてきたが、答えをはぐらかされることが多かった。これほど、率直な答えをもらったことは、実はあまりない。
たぶん、これは、特別な信仰を持たない先生に共通したお考えではないかと思う。
そうであるならば、「キリスト教」教育とはいったい何なのか。やっぱり私にはよくわからない。
道徳律ならば、キリスト教でも仏教でも、あるいはわざわざ宗教を名乗らなくても教育可能なはずだ。信仰を持ってはじめて「宗教」となり得るのではないかと思えるからだ。
「宗教教育」っていったい何なのでしょうか??
どなたか教えていただけないでしょうか。
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