知り合いの塾長と「指導法」について長時間話し込んだ。
「なるほど!」という部分、「ウーン」という部分、いろいろあってとても面白かった。お互いに20年以上塾の教師をやっているが、「そもそも授業の目的って何か」とか「どんな先生が良い先生なのだろうか」という書生っぽい話に終始した。
その塾長がしみじみ語っていたのは「教えすぎてはいけない」ということ。
子どもが「わからない」と言って質問してきたとき、あるいは、演習問題を間違えたとき、こんなときに「教えよう」と思ってはいけないということだ。
それぞれの子どもは、自分の頭の中に“回路”を持っている。「わからない」ということは、その内容が自分の回路に適合できない、あるいは、回路に組み込むことができないというメッセージだ。
問題に間違えるというのも同様。間違えたということは、間違えに至るその子なりの根拠があるはず。その“回路”を教師は把握しなければならない。.
だから、教師はどうあるべきか。それは、まず、子どもに「教えよう」という気持ちを捨てて、その上で、子どもに「質問」をしなければならない。
なぜ、質問をしなければならないか、それは、子どもの頭の中の“回路”の中身を教師は正確に把握しなければならないからだ、と言う。
まったく、その通り!
一人ひとりの子どもは違う。まして、それぞれの頭の“回路”はもっと違う。こんな単純なことを忘れて、多くの教育現場では授業が進められているのではないか。
子どもから「この問題のやり方がわかりません」と質問されたときに、すぐに考え方ややり方を教えていないだろうか。まず、教師がすべきことは、子どもに対する「質問」のはず。回答はそれからだと思う。
改めて、「指導」の原点に立ち返った次第。これだから、塾は面白い。
コメントを残す