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 週刊『ダイアモンド』で「父親力」という特集を組まれていたので読んでみた。


 最近、ビジネスマン向けの週刊誌で、教育特集が組まれることが多くなった。以前はよく目を通していたが、このところほとんど無視している。記事の内容が「××中学は○○大学進学に有利」といった即物的な内容が多く、まるで教育の目的が損得勘定にあるようで不愉快に感じることが多いからだ。


  今回もさほど期待したわけではない。朝の新聞の広告で知り、何となく駅の売店で買ってみる気になっただけだ。


 ただ、読んでみてとても違和感を覚えた。上手く言葉では表現できないが、記事の内容が、現実のものとは感じられなかったからだ。どこかの遠い星、いま話題の「冥王星」の出来事のようにも感じられた。


 記事に書かれた「子ども」にはリアリティが少しも感じられない、だから、父親に対するアドバイスも無機質な冷たいものに感じられた。


 私自身、塾の教師という立場から、多くの親(その多くは母親だが)から子どもの教育の相談を受ける。相談内容は、現実的で具体的で生々しい。ところが、ダイアモンドの記事からは、その生々しさや、もっと言えば、子どもに対する「愛情」が全く感じられない。


 「もし、私が塾の教師を経験しないで子どもを持ったら………」ということは常日頃よく考える。良いか悪いかは別にして、わが子との接し方や教育のあり方はかなり変わったのではないかといつも思う。


 縁あって塾の教師となったため、多くの子どもに接した。そして「つき合い方」を学んだ。案外、多くの親は、「つき合い方」に自信を持っていないのではないか。というのは、私も教師になるまで、子どもとの「つき合い方」に自信がなかったからだ。


 でも、教師になって間もなく、大人と子どもに大きな違いはないことがわかった。もしあるとすれば、子どもは、大人以上に「愛情」を求めていることで、それは、子どもが大人より、「栄養」を求めるのと同じ構図と理解した。


 そして、同時に、塾の子どもたちを見ていて、無条件に「カワイイ」と感じた。「カワイイ」者たちに「愛情」を注ぐのは自然だし、同時に、子どももそれを受け入れる。別に難しい理論は必要ない。


 私が父親となったときに感じたのは、わが子との接し方は、「塾と同じよい」というものだった。難しい理論や方策なんて考えない。ただ、「愛情を注げばよい」という確信だった。


 ダイアモンドにも書いてあったが、「親の押しつけは良くない」というのは世の常識のようだ。ただ、これはとてもヘンだ。それは、子どもから見れば、確かに「押しつけ」に感じることがあるかもしれない。ただ、親から見れば、それは愛情であって、それ以上でもそれ以下でもない。


 愛情をセーブすることはとても難しい。確かに、親であっても自分を客観視することは必要かもしれない。しかし、私は、そんな器用な対応なんかできない。それに、そんなことをするくらいなら、注げるだけ注いで、後は子どもの判断に任した方がいいと思っている。


 もし、それによって、子どもに嫌われるならそれはそれでもよい。子どもに対する愛情は、子どもから好かれているから注いでいるのではない。無条件に「カワイイ」から勝手にそうしているだけだ。


 私の「父親力」なんて所詮そんなものだ。「こんな親にはなりたくない」と思うなら、自分が将来そうすりゃよい………と開き直ることにしている。

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