「プロ講師による個別指導」誕生物語
『生涯喜びをもって学び続ける人間』を育てたい。
はじめての授業
伸栄学習会は昭和55年(1980年)11月に地元浦安市に誕生しました。以来、本部教室は現在の猫実2丁目からまったく動いておりません。「同じ場所でずっと」となると、浦安で最も歴史のある塾です。
塾を始める前、私は総合商社でサラリーマンをしていました。
会社生活はとても恵まれていました。楽しい毎日でしたが、子どもたちとの関わりを持ちたいという思いが募り、塾を始めることになりました。
いわゆる「脱サラ」です。
「生涯喜びをもって学び続ける人間を育てる」のが当時の私の夢でした。そして、今でも変わっていません。この夢を実現するために、現在も塾の教師をやっています。
はじめての授業は忘れられません。
子どもたちの前に立ったとき、彼ら彼女らの目の輝きに押され、足がすくみました。
サラリーマン時代、エライ人の前で何度もプレゼンテーションをしてきました。しかし、足がすくんだことは、ただの1回もありませんでした。
実は、人前で話すことには、自信を持っていました。子どもなんて「チョロイ」もんだと高をくくっていました。
しかし、現実は甘くありませんでした。 会社を辞めてしまったものの、塾の教師としてやっていけるのかどうか背筋の寒くなる毎日でした。
子どもに話をすることは、大人よりずっと難しいということを身をもって教えられました。
教師にとって必要な知識は、算数や英語の解き方だけではありません。教科のことなんて、取るに足らないほんの一部にしかすぎません。
わかりやすく教えること、子どもの気持ちがわかること、そして厳しく接することができるようになるには、たくさんのことを学ばなければならないことを教えられました。
個別指導との出会い
やがて、少しずつ授業が軌道に乗るようになりました。
しかし、それから6~7年後に新たな問題が起こりました。 子どもたちの学力格差が広がってきました。それに、クラス授業に馴染めない子どもたちも出てきました。
そこで、一人ひとりに対応すれば問題が解決すると考え、「個別指導」をスタートしました。今でこそ、駅前には個別指導のチェーン塾がたくさんあります。でも、当時は珍しい存在でした。
講師は大学生を中心にお願いしました。本当は専門の先生を迎えたかったのです。しかし、支払える給料に限界がありました。
「大学生が先生」というのは個別指導の宿命です。
しかし、この結果、大きな代償を払うことになりました。 大学生は当然ながらアルバイトです。
大学の関係で辞めてしまう先生が出てきました。
子どもとせっかく馴染んだのにとても残念な思いをしました。
勝手な教え方をする先生もいました。
教え方を統一しないと生徒は混乱します。しかし、自己主張の強い先生には、何を言ってもムダでした。そして、後味の悪い言葉を残して去っていきました。
準備不足の先生もいました。
生徒に解答を棒読みしてごまかしていました。準備不足を指摘すると、「こっちもサークル活動で忙しい」と逆ギレされたこともありました。
大学生講師を巡って、新たな問題が次々に起こりました。知り合いの塾長の中には、「クレームが起きているわけではないのだから、そんなに気にすることはないよ」と慰めてくれる人もいました。
しかし、子どもや保護者に対して責任を果たしているとは感じられず、苦しい日々を送りました。 教育には無限の責任が生じます。しかし、アルバイトにとっては、授業時間だけがすべてです。その授業時間も「ラク」であることが最優先されます。無限の責任の意味を問うても、返事がないのは当たり前です。
恥ずかしいことに、こんな単純な事実に、私は、全く気付いていませんでした。
大学生講師の限界
アルバイトにできる仕事は限られています。
複雑な業務、高い専門性を有する仕事は不可能です。
教育は複雑で高い専門性が求められます。
だから、アマチュアには所詮ムリな仕事です。アマチュアが家を建てようとしても、マトモな家は建ちません。寿司を握っても売り物になりません。
教育も同じです。
ただ、子どもは教師のレベルを判断できません。しかも、「授業」は時間とともに消えて、モノとしてカタチが残りません。だから、ゴマカシが効きます。 実は、大学生の授業に対して、「クレーム」がなかった理由はここにあります。 でも、ゴマカシはゴマカシです。
問題を解決しようとすれば、行き着く先は1つしかありません。アルバイトから授業を取り戻すことです。「一斉授業」に戻すのが一番の早道です。
しかし、指導の現実を考えると、「個別指導」には捨てがたい魅力があります。一人ひとりに合った指導をきめ細かに行うには、「一斉授業」では不可能だからです。
いろいろ悩みました。
さまざまなセミナーや勉強会に出ました。多くの書籍も読みました。塾や学校の授業も見学させていただきました。
ただ、当時(今でもそうですが)、「プロ講師による個別指導」という課題に本格的に取り組んでいる教育機関はありませんでした。
たった1つあるとしたら、それは、プロ講師による家庭教師でした。料金を無視すれば成り立たないことはありません。ただし、授業は1時間当たり1万円以上になります。週1回の授業で8万円以上になってしまいます。
これは私の目指す道ではありません。常識的な受講料で、地元の方々に通っていただく塾作りが私の目標でした。 いろいろ試行錯誤をくり返しましたが、なかなか上手くいきませんでした。
でも、そんな中、幸運がやってきました。
機械の活用
それはコンピュータシステムの発達でした。
これにより、それまでは不可能と思われたことが可能になりました。
授業の一部をコンピュータに任せることができるようになったのです。
コンピュータを使うといっても、もちろん、何から何かで機械任せにするわけではありません。
どういうことかと言いますと、授業の始まりはたいてい先生の説明からスタートします。
「この単元で学ぶことは××であり、○○に注意するように」とか、「この問題を解くために、まず目をつけるところは△△で………」というのがそれです。
この説明部分をナマの人間ではなく、私の作った動画がやるのです。
そして、
教室にはプロの先生を配置します。
(もう1人、アシスタントの先生も配置します)。プロの先生は、授業でイチイチ説明する必要ありませんから、いつでも子どもと対話をすることができます。
子どもはコンピュータで私の授業を受けて、わからなくなれば、すぐに教室の先生に質問します。進度のスピードやその日の単元は、一人ひとりに合わせて決めることができます。
個別指導、しかもプロ講師の個別指導システムの完成です。
これなら、
プロの家庭教師の料金とくらべ、1/7以下にすることができます。
しかも、一人の先生ではなかなか手の回らない、ノートのチェックや鉛筆の持ち方の指導などもできます。
最高の家庭教師、それのさらに上を行く指導が可能になったわけです。
「プロ講師による個別指導」
一斉授業はクラスの雰囲気が一つになって、すばらしい学習空間を生みます。
ただ、わからないときに質問ができません。「授業中、わからないことがあったら何でも質問しなさい」といいます。しかし、実はこれはタテマエです。
なぜなら、1回の授業でほとんどの子どもは、最低、一・二度の質問が必要になります。もし、本当にこれが質問として発せられたら、授業は中断に次ぐ中断に追い込まれます。
一斉授業は「質問はよほどのことがない限りしない」という暗黙のルールの上に成り立っています。
しかし、コンピュータの授業なら話は別です。いつでも、ストップして教室の先生に質問できます。先生は時間があるので十分な対応ができます。
クラスの雰囲気を取れば「一斉授業」です。しかし、中身を取れば、「プロ講師の個別指導」です。どちらが適しているかは、子どもの性格や学習目的によると思います。
伸栄学習会では、「カウンセリング」を大切にしています。これは、単に、質問に答えるというだけではなく、もっと子どもの勉強に根源的に迫ろうとするものです。
医師が患者を個々に診断する「予防医学」のようなものをイメージいただけたらと思います。
学びに終着駅はありません。私も子ども同様、これからも学び続けたいと思っています。
なお、⇒小冊子『ベテラン塾長のが明かす個別指導の常識ウラオモテ』
にもっと詳しいことを書きました。ご関心をお持ちいただけたらご請求下さい。