講師 山内雄司
夏期講習も終わりました。コロナ禍でスケジュールがかなり狂わされましたが、受講生にはそれぞれの目標に近づけた有意義な講習になったことと思います。感染予防対策をし、酷暑の中を通い、充分それに見合ったものを得てくれればと願わずにはいられません。
この講習中に改めて感じたことがいくつかあります。そのひとつは、「勉強の中で暗記の占める割合は、やはり非常に大きいものだ」というものです。
「勉強とは暗記である」というと、異を唱える方も多いと思います。また、「勉強は暗記だ」と言う講師は低レベルであり、そもそも教え方が下手であると判断する風潮も根強くあります。
「勉強とは理解するものである」という教育関係者も多くいますし、大量に暗記をさせる「詰め込み教育」の弊害を示唆する方もいます。ですから、講師である私が迂闊に「勉強の大半は暗記である」などと言うと反感を買うおそれも多分にあります。
それでも「やっぱり暗記が大事」と言いたくなるには理由があります。
まず、「理解」と「暗記」についてです。「理解」はときに他力に依りがちです。人からわかりやすく説明、解説してもらうことで「ああ、わかる」とうなずくことが多くあります。もちろん「理解」には、自分も深い経験をしているからこそ共感できるといった高度なものもありますが、いわゆる受験勉強でそこまでのものはほとんど求められていません。ですから、数学の解法や英語の文法などは、できるだけわかりやすい解説にしようと私たち講師は努めるわけです。また、前の単元が理解できないと次の単元が理解できなくなるため、どこでつまずいているのかを見極める技量が必要になります。
しかし、「暗記」は「自力」に依るところが大きいものです。講師がわかりやすく解説することが覚えやすさを助けることはありますが、基本的には本人が繰り返し繰り返し練習して覚えていくものです。そういう意味で、受験勉強レベルで言えば、「理解」よりも「暗記」の方がずっと自主的であり、積極的に臨まなければできないことになります。
また、覚えにくいものを覚えようとするときには、「自分ならどういう方法がふさわしいだろう?」「自分がこれだけ覚えるにはどれだけの練習時間が必要だろう?」という課題と直面します。これらを自分で考え、そして時間をかけて実践する、こういう態度が社会では求められているものです。
いまだに多くの企業が人材採用の基準に学歴を重視するのは、受験勉強を通じて以上のような課題を克服してきた経験があるかどうかを判断しやすいからです。
つまり、「暗記」に立ち向かう態度は、課題に直面したときに、それを克服する方法を考え、そして実践する能力を養うものです。なおかつ、こういうことを実践できる人物は「理解」の能力にも長けています。
「暗記」に頼る人物の欠陥や失敗などのエピソードは興味深く、ときには痛快に聞こえるものですが、こういう印象に引きずられて「暗記は良くない」「暗記は勉強として無味乾燥なものである」「暗記は考えない人間を作る」という極端な言葉ばかりが出回っているように思えます。
伸栄学習会としては、「暗記に対しても積極的に、自主的に臨む人材を育成する」という姿勢でいたいと考えております。
付け加えさせていただきますと、当塾で「問題集の使い方」や「学習時間管理帳」を重視しているのも、上記の自主性や実践力を養う一助にするためです。ぜひご活用ください。