講師 山内 雄司
「忙しくて宿題できなかった」という言葉をときどき聞きます。伸栄学習会の生徒でこういう発言をする生徒は、他とくらべると少ないようですが、それでもゼロではありません。
この言葉を聞くたびに、「私の指導はまだまだか」と自戒の念に襲われます。しばらくは食欲も失せます。ただ、これを受け流すことだけはしたくありません。なぜ宿題ができないか、「大人げない」と思われるかもしれませんが、本当の理由を突き止めるまでなおざりにしたくありません。背後に大きな問題をはらんでいると思うからです。
三つの「時間が無い」
「時間が無い」は三つに大きく分かれると思います。
一つ目は、ただ単に宿題をやらない言い訳をしている例。
二つ目は、時間が無くて宿題ができないと思い込んでいる例。
三つめは、本当に時間に余裕が無い例 です。
売れっ子の子役でも
最も多いのは一つ目の例です。もちろん論外です。何をバカなことを言っているのかというだけです。ごく稀に、「自分には休憩時間やリフレッシュが必要だ。」とこちらをやり込めようとする子どももいます。しかし、引っ込んではいられません。子どものためにも論破してあげなければいけません。そもそも勉強や宿題を罰ゲームのように、「しないで済むならその方が得」と思っている時点で間違っています。
二つ目の、時間が無いと思い込んでいる場合は、もう少し慎重に話す必要があります。一緒に毎日の生活スケジュールを考えて、「ほら、これだけ時間ができるよね。」と言ってあげる必要があります。そして、何曜日の何時からはこの教科の勉強をするというような具体的な計画まで言及します。
講師を続けていると、芸能活動をしている生徒を受け持つこともときどきあります。そういう中のひとりがあるテレビドラマに主演級で出演することになりました。なかなかの忙しさです。それでも、撮影の合間に控室で宿題をこなしている、という話を聞きました。あるときは、「わからないところを田村正和さんが教えてくれた。」と言っていました。これだけの過密スケジュールでも、捉え方や工夫次第で最低限の宿題はこなすことができるという典型的なエピソードだと思っています。
必要なものが何かの決断
本当に時間が無いという、三つ目の例です。ごく稀ですが、確かにいます。放課後、習いごとのかけもちをし、厳しいクラブチームに所属していれば、中学生でありながら帰宅は連日夜の十時を過ぎます。私も夜遅く塾の授業や後片付けを終えて駅に向かう途中、こんな生徒と出会うことがありました。毎日のスケジュールを聞くと、ただでさえ長くない睡眠時間をさらに削るかしかないようです。
こうなると、「この子のために今必要なのは何か?」という決断を迫られることになります。今の道を徹底し、進学も就職もそれで達成していく、というのであれば宿題の優先順位は落ちます。そうではなく、学業で進学し、道を切り拓いていく、というのであれば、勉強時間を確保する生活スタイルに変えなければいけません。こうなると、本人の意思だけでなく、ご家庭の方針の問題になります。
宿題をしない代償
いずれにしても、宿題はするべきものであるという前提があってのことです。宿題をしなくても、法的な罰則など受けません。もちろん今の時代、体罰を受けることもあり得ません。それは子どもたちもよくわかっています。だから一つ目のような言い訳をするのです。
しかし、宿題をしないことの代償は、生半可な罰などとは比べものにならないほど大きなものです。その積み重ねで、子どもたちは「自分の力で人生を切り拓く可能性」を徐々に捨てているのです。
明日の授業で生徒全員が宿題をやってくるかどうか………実は、毎日、ハラハラしています。