この絵は、つい最近広告に使ったイラストです。
ずっと前のことですが、ドキュメンタリー番組で、毎日断崖をよじ登って通学する子どもたちの様子を見たことがあります。確か中学の四川省のどこかで、子どもたちが列を作って足のすくむような崖を登っている映像が映し出されました。竹製の梯子はあるのですが、とても頼りになりそうなものではありません。
そのときは大きな衝撃を受けたのですが、それ以来常に気にしていたわけではありません。それが、ここ最近急に思い出され、気になって仕方がありませんでした。
世界にはこれに劣らず凄まじい通学風景があります。
川の向こうまで通学するのに、毎日壊れた吊り橋の残骸を渡る子どもはネパール、インドネシアやコロンビアなど多くの国にいます。
同じく川を渡るのに、ひとつの古タイヤのチューブや、竹を組んだだけの板に3人も4人もしがみついて通学する子どももあちこちにいます。
1本のケーブルに滑車をつけ、時速60キロのスピードで高さ180メートルの谷の上を渡って通学する子どももいます。
内戦の続く街で、銃撃に備えた武装兵士の横を歩いて通学する子どももいます。「地雷 危険」の立て札の横を通って通学する子どももいます。
彼らは文字通り命がけで勉強をしに通っています。
勉強をしに行くって、やはりものすごいことです。
ここ最近、これらのことが気になって仕方が無いのは、コロナ禍の今の時世と重なってしまうからです。今のコロナ禍で子どもたちの移動がどれだけ危険なのかは諸説入り乱れ、実際のところはわかりません。それでも、不安と闘いながら勉強のために出かけているのは確かです。
子どもたちが安心して勉強できる環境を作るのは、もちろんオトナたちの重要な役目です。ここから目を背けることはできません。
ただ、勉強をしに行こうという子どもたちの思い、勉強をしに行かせる保護者の方の思いは、こんな時世だからこそ強く受け止めなければならないのだと思います。
冒頭の広告のイラストは、そんな考えがあって描きました。勉強をしに来る子どもたちの思いに見合うだけの価値あるものを自分は提供しているか? 一番大事なことを忘れてはいけないと痛感しています。