2003年2月号……『週休2日、3割カットから1年』 塾長/青沼 隆
「週休2日、学習の3割カットで子どもの学力はどうなった」と質問されることがあります。昨年4月から新しい学習指導要領が実施され、最近話題の学力低下問題と相まって、子どもの学力が大きな関心を読んでいるようです。質問者は何か変化があったことを期待しているようですが、残念ながら、「何も変わっていないよ」と答えています。というのは、今に限らずこれまでずっと一貫して、子どもの学力は低下し続けてきており、「何を今さら」というのが偽らざる実感だからです。
今から3~4年前の1999年ごろにタイムスリップしてみますと、当時、「2002年」というと誰しもサッカーのワールドカップを連想していました。この年から新しい学習指導要領が実施されることなんか、誰も関心を持っていませんでした。そして、そのころは、学力低下どころか、「日本の子どもは勉強しすぎだ。詰め込み教育が子どもの心を蝕んでいる。」という大合唱が起こっていました。お母さま方とお会いした際も、「もっとゆとりを持って学校が勉強を進めてくれたらよいのに………」という枕詞から面談が始まることがよくありました。その時、いつも、「それは違いますよ。今の子どもはお母さんが子どもだったときほど勉強していませんよ。教科書もどんどん薄くなってきていますよ。」といくら説明しても半信半疑の顔をされることがよくありました。
文部省(当時)が「ゆとり教育」に舵を切り替えたのは、1980年代、中曽根内閣が臨時教育審議会答申を出したときからといわれています。平成元年の学習指導要領の改訂(前回の改訂)のときには、「知識・理解」に代わって「意欲・関心・態度」に評価の重点が移されました。そして、英語では文法よりもコミュニケーションの能力が、数学では計算力より思考力が重視されるようになりました。そのころから、子どもの学力(教科の知識・理解)が目に見えて低下してきたのを強く感じ始めました。コミュニケーション能力どころか、be動詞と一般動詞の区別がつかない高校受験生や、分数の計算にものすごく時間のかかる中学生が全然珍しくなくなりました。今回の改訂は「ゆとり政策」の総仕上げと位置づけられています。大きな変化を感じないのでは、今までの延長に今の姿があるためではないかと思います。
ただ、気になることがいくつかあります。中学の数学の教科書から分数や小数の計算がほとんどなくなってしまったことと、英語の教科書に主語と動詞が省略された慣用的な表現が増えてきたことです。計算なんか電卓にやらせればよい、文法なんかやらなくても外国人と話ができさえすればそれでよい………と言われればそれまでです。しかし、大学入試は大丈夫でしょうか。文部科学省は、国際競争力を維持するために、国公立大学のレベルは絶対に下げない、むしろ上げていくと表明しています。現在でも、大学の入試問題を解くためにはものすごく計算力が求められます。複雑な構造を持つ英文もしばしば出題されています。計算力と文法力それに語彙力がなければ、これらが解けるとは到底思えません。学校の教科書だけでしか勉強してこなかった子どもたちは、いくら成績が良くても、大学入試からはじき出されてしまう可能性は十分にあります。
もう1つ、学力低下と並行して感じているのが、子どもの忍耐力の低下です。「やりたくないことはやらなくてよい」「楽しくないことはやる必要がない」的な風潮が、個性尊重のスローガンと歩調を合わせて子どもの心に染み込んでしまっているのを感じています。そして、勉強についても、「××(部活や学校の行事などがここに入る)が忙しかったので宿題ができなかった」、「勉強が面白くないのは××(学校の先生や塾の先生の名前が入る)の教え方が悪いからだ」、と当然のように主張しています。詳しい事情を知らない第三者が聞いたら、ひょっとしたら子どもの言い分を信じてしまうかもしれません。しかし、多くの場合は、責任は本人にあります。忍耐力が失われてしまったために、遂行するエネルギーが切れてしまっているのが原因かと思います。
一昔前のように、勉強のことは学校に、躾のことは社会に従っていれば大過ないという時代は終わったような気がします。すでに、文部科学省は、学校はミニマムについてしか責任を負わないと言明しています。親の判断力が問われる厳しい時代を迎えたものだと痛感しています。