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2002年5月号……『質問という名の手抜き』 塾長/青沼 隆

「塾はわからないことを教えてもらうところ。だから、どんなことでも質問してきなさい。」………恐らく、多くのご両親さまがこのようなことをお子さまに仰っているのではないでしょうか。基本的にこの考えにまったく同感です。塾の役割の1つは「わからない」を解決することです。わからなければ先に進めないし勉強が面白いはずがありません。質問するというちょっとした“勇気”は、勉強を進める上で大切な要素でもあります。質問は一般的に良いことであり、勉強を進める上で不可欠なものです。ここまではまったくその通りだと考えます。ただ問題はここからです。子どもたちの中にはこの言葉を誤解していたり、あるいは、ふだんはともあれ、ある場面で意図的に曲解するケースがあることです。

子どもの「わからない」にはいろいろあります。一晩考えたけれどもわからないも「わからない」ですし、考えたり調べたりするのが億劫だからわからないも「わからない」です。問題は後者の「わからない」です。例えば、英語や国語で、知らない単語や語句を辞書も調べないで質問するケースです。数学などでは、少し面倒な部分が出てくると、すぐにその解法や答えを質問する子どももいます。要は、何か面倒なことが起きたときに、“質問”という形で先生に助けを求める行為です。もちろん、これは常識的な意味で、“質問”とは言えません。明らかに、子どもの“手抜き”です。ただ、形式的には、子どもは“質問”しているのに間違いありません。仮に、「質問するのは良いことだ」と無条件に認めれば、これも立派な勉強だということになっていまいます。

実は、当塾では、数年前から手取り足取り型の「個別指導」(現在、世間一般で言われる「個別指導」)を縮小して、現在の形の個別指導(「スフィンクス」)に重心を移してきました。当塾では過去約10年にわたり手取り足取り型の個別指導を行いましたが、残念ながら、子どもの“手抜き”を完全に取り除くことができませんでした。そもそも、先生がいつもそばにいてくれれば子どもは心地良く感じます。1つ1つを手取り足取り教えてくれれば苦労も半減します。先生への質問もしやすくて困ったときにはすぐ助けを求められます。手取り足取りの個別指導は、多くの子どもたちに好まれる指導形態だと思います。しかし、この指導は時として、子どもの依存心を助長します。ある場合には、面倒なことは自分の頭を使わずに先生の頭を悪用するようになります。“ていねいな指導”といえば聞こえはよいのですが、その反面、受け身の学習が定着しててしまう恐れがあります。

子どもの置かれた状況により一概には言えないかもしれませんが、私は、基本的には困難の伴わない勉強には意味がないと考えています。勉強の目的の1つが、自分の力で困難を克服して、視界を広げていくことにあるからです。勉強の楽しさや喜びはこのプロセスの中で生まれるものだろうと思います。困難と克服の経験の乏しい子どもは、勉強の喜びや楽しさを知らないまま大人になってしまうのではないかと危惧します。教師が子どもの“便利屋”になってしまう罪は大きいと思います。教師は、1つ間違えれば、勉強の障害物となってしまうことを自戒すべきだと考えます。いくら子どもが快く感じようとも、いくら教師に善意があったとしても、勉強の本筋から逸脱した指導は邪道に他なりません。ですから、すべての質問が良いものとは思えません。手抜きの質問に対しては、厳しい教師、厳しい塾でありたいと考えます。

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