2001年12月号……『知的な「忍耐力」』 塾長/青沼 隆
2学期が終わり成績表が渡されました。成績が上がった人もいますが、残念ながら下がった人もいます。浦安・市川の公立小中学校の成績は、昔のご両親さまの時代と違って「絶対評価」で付けられています。ですから、通知表からは、学校全体やクラスの中での位置を知ることはできません。全体の中でビリに近くてもまずまずの評価が得られることもあれば、トップの成績であっても「5」がつくとは限りません。先生の主観の入った評価を読み取るのは難しくなりました。
◆成績の良い子、悪い子
しかし、学校の評価は学校の評価として、いわゆる成績の良い子もいれば悪い子もいます。良いとか悪いとかという言葉はイヤな響きがありますが、どんなことでも序列化すれば、良い悪いという評価が生じるのはやむを得ないかと思います。ただ、最近気になっていますのは、なぜ、ある子が良い成績が修められるのか、なぜ、ある子は悪い成績しか修められないのか、その原因が微妙に変化してきているような気がすることです。
よく、「成績の良い子は頭が良い」とか、「頭が良い子は成績が良い」とかと言います。ただ、どうも最近は、この言葉(論理)に矛盾を感じる場面が増えてきました。そもそも、「頭が良い」という言葉ということ自体、乱暴かと思います。何をもって「頭が良い」というかは人によって異なるでしょうし、最先端の心理学を持ち出しても決着のつかない問題だろうと思います。しかし、それはそれとして、この場合に限定すれば、恐らく、記憶力が良い、理解力に優れている、判断力が的確、頭の回転が速い………という言葉を「頭が良い」という言葉に結びつけて大きな間違いではないような気がします。しかし、私は最近、これを疑っています。
◆首から上の能力、首から下の能力
記憶力、理解力、判断力、頭の回転という能力は、首から上の「脳」に関わる能力です。しかし、実際の子どもたちを見ていますと、これらの能力はあるのですが、なかなか勉強が進まない子がいます。落ち着きがなかったり、話を最後まで聞けなかったり、くり返しをすることを嫌がったりする子たちが典型です。記憶力や理解力などを首から上の「脳」の能力とした場合、これら子どもたちは、、首から下の「体」に関わる能力が不十分ではないかと思っています。(この辺の厳密な定義は勉強不足でよくわかりません。あくまでも感覚的にご理解いただけたら幸いです。)
「わからない」ことが授業を受けて「わかる」ようになっても、それをくり返さなければいつかは忘れてしまいます。わかったときに直ちに反復演習しなければ理解は浅いものになってしまいます。問題を解く中で、間違えたものはやり直さなければ意味がありません。正解を写しただけでは不十分です。これらは、複雑になればなるほど重要性が増します。
しかし、現実問題として、反復を嫌がる子どもたち、もっと言えば反復のできない子どもたちが増えています。確かに、やり直しやくり返しは面倒です。エネルギーも使います。授業を聞くだけの勉強の方がはるかにラクです。でも、この関所は突破しなければならないものです。しかも、この段階は「教えてもらう」ことによって解決できないステージに達しています。わからないことなら教えてもらうことができます。しかし、わかっていることを自分の頭の中に定着させるのは、他人の力を借りることが不可能です。自分で力で、自分に負けないように粘り強くやるしか方法はありません。
◆忍耐力こそが
勉強だけではなくスポーツでも習い事でも何でもそうだと思いますが、反復は絶対に必要です。今、子どもたちに欠けているのはこの反復する力です。反復不足をさらにさかのぼれば、これを実行するエネルギー源の「忍耐力」の不足に行き着きます。せっかく“首から上”の能力を持っていても、“首から下の能力=忍耐力”がなければ花は開きません。
今、思い起こしますと、伸栄学習会を開講した20年前は、ほとんどの子どもたちがある程度の「忍耐力」を持っていました。ご両親さまの子ども時代も同じだったかと思います。ですから、成績を上げるには“首から上”の力を付けさせることが重要な課題でした。“首からの上”のキーワードは「教えてもらってわかる」ことです。多くのご両親さま方が、お子さまの教育で、塾に対して、「わかること」や「教えてもらうこと」を期待するのはそのご経験からだろうと推察します。しかし、今は違います。前提が変化しました。むしろ、真っ先に手を付けなければならないことは、土台となる“首から下”の忍耐力どう解決するかという問題です。“首から上”の力を付けるには、「教えてもらう」ことが大切です。しかし、“首から下”の力を付けるには、つらい「体験」をすることと、そこから逃げられない「環境」を整えることが必要です。
塾が「教える」場であればよかった時代は終わりました。塾は楽しく「教えてもらえる場」だけではなく、「つらい忍耐を体験する場」であることが求められるようになりました。子どもたちにとって、塾は楽しい場であるのはもちろん、つらい体験の場としての役割を積極的に演じなければならない必要性を強く感じています。