2006年11月号……『履修漏れ』 塾長/青沼 隆
これって違反………??
10月下旬から突然降って湧いたように、高校の履修漏れの問題がマスコミの話題を独占しました。文科省によると、全校の高校のうち10%、生徒の7%で履修漏れがあったとのことです。実を言いますと、当初、私はなぜこのことが問題になるのかさっぱりわかりませんでした。というのは、カリキュラムとは違った内容の授業が行われている(即ち「履修漏れ」)のは、どこの学校も多かれ少なかれやっているもので、一般に認められているものと思っていたからです。
例を上げるとキリがありません。例えば、以前、家庭科が必履修科目になったときです。いくのかの男子校では、「ウチでは家庭科を実際にやるなんてことはしません。この授業では理科の授業を行います。」と公然と言っていました。(必履修科目とは高校を卒業するにあたり、必ず、履修しなければならない科目のことです。)
また、多くの理科の先生からは、「理科総合」授業はやっても意味がないので、「生物」もしくは「化学」に振り替えているという話を聞いてきました。さらに、これは中学校の話ですが、「総合学習」が導入されたときに、「数学とか英語などの教科に振り替える」と公言していた私立中学も多数ありました。
現実にこれらの学校がどのような授業を行ったのか、その後、カリキュラム通りの授業を行ったのかどうかは検証していません。しかし「履修科目を差し替える」というのは、当たり前にされていることと認識していました。
指導要領は国家統制………??
この問題については多くの識者がそれぞれの立場で発言しています。しかし、私は、この根幹は、「高校とは何か」「私学の自由とは何か」にあると考えています。
「高校とは何か」という問題は、逆に言うと、「義務教育とは何か」という問題につながります。現状、わが国では、中学校までが義務教育となっています。従って、子どもにとって必要な教育は、中学までで終了しているという建前になっています。もし、そうなら、高校の授業で、「必履修科目」は本当に必要なのかどうかが議論の対象になります。
高校の必履修科目はご両親さまの時代より少なくなっています。しかし、社会科で3教科、それに、家庭科や情報などが必履修科目として定められています。高校が義務教育でないなら、もっと科目を少なくすべき、あるいは、必履修科目そのものを廃止すべきではないかと思います。
ただ、現実には、高校には90%以上の生徒が現実に高校に進学しています。今や、高校は「義務教育化」しているとも言われます。それならば、一層のこと、高校を義務教育化した方がよいのかもしれません。いずれにしても、今の高校のあり方そのものが中途半端であることが、この問題の引き金になっているように思えます。
もう1点が「私学の自由」です。私立学校はそれぞれの建学の精神に基づいて運営されています。しかし、現状では、私学も公立と同じような一律の学校運営が求められています。ある私学の校長は、「指導要領(文科省の定めた教育基準。必履修科目もこの中で定められている)は国家統制を行うための前近代的なシステムだ」と明言していました。
果たして、現実の私学が、建学の精神に基づいて独自の教育を行っているのかどうか疑問です。多くの私学は、大学受験だけに特化した教育を行っており、偏差値競争に明け暮れているのが実態に見えます。生徒・保護者にさまざまな教育の選択肢を提供しているのかどうか疑問です。
しかし、この中にあっても、多くの私学は独自の教育を展開しようと努力しているのもまた事実です。その意味で、指導要領は、校長の言う通り私学の自由を奪っているのも事実かと思います。
履修漏れの問題はこれで収束したのか、あるいは新たな問題につながるのかどうかわかりません。ただ、何れにしても、この議論が、「私学の自由」を尊重する形で展開されることを望んでいます。