2003年6月号……『学生服』 塾長/青沼 隆
時代の中で服装や着用法が変わっていくのは当然です。それぞれの時代にはそれぞれの流行があるのも当然です。風俗は変化していくものですし、それを目くじらを立てても意味がありません。しかし、これらを考えても、全く残念なのが、今の男子中学生・高校生の学生服姿です。街の中で、制服のホックを締めている子どもを見かけることはまずありません。ボタンを1つ2つ外している子どももいくらでもいます。私の目には、ただ“だらしない”としか映りません。
さらに驚くことは、これらの子どもたちに“悪気”がないことです。いつのころからか、学校で、着用法の指導はしなくなったようです。ですから、中には、ホックを外して着るのが正しいと信じている子どももいます。信じられないことです。
学生服は明治時代に軍事訓練用として生まれました。当時の中等学校以上で陸軍下士官の服装を模して取り入れられ、その後、エリートのシンボルとして帝国大学などでも用いられるようになりました。もちろん、統制的・権威主義的な学生服に対する反対や反発もあり、一部の私立学校ではブレザー・ネクタイの制服が取り入れられたり、「バンカラ風俗」が流行ったりしました。しかし、その後、太平洋戦争が終った後も、GHQの反対もなく1950年代に復活して現在に至っています。
これらの歴史をふり返って大切だと思うことは、学生服は第1に軍服から派生したことです。軍隊にあっては、ことの善し悪しは別にして規律統制が絶対の条件になります。服装は規律統制の象徴です。これを破ることは、軍の敗北とともに自らの死も意味します。死にたくなければ規律に従うしか方法がありません。第2にエリートの象徴として着用されたことです。もちろん、このエリートは単に頭がよいとか、偏差値が高いという意味ではありません。自分の所属する組織やその組織の構成員に対して、義務と責任を負う誇り高き気質です。誇り高き気質とだらしなさは相容れません。学生服がこのような歴史をを持つ以上、いかなる時代にあっても、規律をもって着用されるべきかと考えます。
学生服がよいのかブレザーがよいのかその他がよいのか、あるいは制服そのものを止めてしまうのがよいのか私にはわかりません。ただ、学生服を選択する以上、規律と切り離すのは論理矛盾だと思います。従って、もし、その指導が不可能であるならば、学生服は止めるのが筋ではないかと考えます。
当塾では学生服で来た生徒に対しては、ホックを締めさせるか、あるいは、学生服を脱がせるかいずれかの指導をしています。ほぼ例外なく、子どもたちは戸惑いを見せます。反発する子どももいます。ただ、現在では当塾の指導が浸透したのか、わりあい抵抗が少なくなったような気もします。塾という立場のありがたさを感じる次第です。