2014年8月号……『学べば則ち固ならず』 塾長/青沼 隆
論語に表題の「学べば則ち固ならず」(学而第一)という一節があります。「しっかりと学べば頑なにならない、学問をすれば頑固でなくなる」という意味のようです。人間は年をとると「頑固」になると言われます。さまざまな経験は自らの哲学や信念を生み育てます。経験に裏打ちされた哲学や信念は、そう簡単に右や左に動きません。他人から見るとそんな姿勢が「頑固」に映るのかもしれませんが、「頑固」は悪いことではありません。
ただ、一方、何かを新しいことを築き上げたり、過去とは違う方向に転換しようとしたときに、体力や気力の衰え、あるいは失敗の経験などがそのエネルギーを阻害する可能性があります。企業が中高年者より若年者を雇用するのも、人間としての柔軟さが一因かと思います。私はこの論語の一節を、自戒を込めて、「学びは人間を柔軟にする」と理解しています。
この「学び」について、日本の子どもは小学校から高校・大学・大学院まで12年間~18年以上にわたり系統的に学習していきます。そして、学校での学びは、単に算数や英語という科目(コンテンツ)の習得に留まらず、「学びの学習」(学び方をまなぶ)も含まれます。
もちろん、この学びは学校時代に限ったことではありません。むしろ、実社会に出たときにこそ「学び」の真価が問われます。社会は目まぐるしく変化しています。一昔前なら、学生時代の知識の蓄積で生涯通用したかもしれませんが、今ではそんなことは考えられません。常に変化に即応した新たな知識や知恵が求められています。
しかし、「学び」は誰でもできることではない、というのを痛感しています。現実問題として、例えば自分のキャリアに必要な学びについても、多くの人たちが二の足を踏んでいるのが実情かと思います。時間の制約や労力の限界もあるかもしれません。しかし、「学び」の壁を前にして、どうしてよいかわからず立ちすくんでいる人も多いのではないかと思います。
「学び」の実践は簡単ではありません。子どもたちも、成績を上げて志望校に合格するためには、「学び」が必要なことは十分わかっています。しかし、「学び」を実践できる子もいればできない子もいます。恐らく、大人になって社会人になったときには、この差はもっと大きくなっているように思えます。
成績を上げるために「学び」は必要です。しかし、もっと大切なのは、将来、大人になって、必要なときに「学び」が実践できる体制作りではないでしょうか。成績は科目(算数や英語などのコンテンツ)をどのくらい理解したかで決まります。しかし、学び方をまなんでいるかどうかは評価の対象になりません。むしろ、後者こそ、真に子どもに身につけさせる「学力」ではないかと考えます。子どもたちにはしっかりと「学び」をさせるべきと考えます。