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2005年春号……「五十にして天命を知る』 塾長/青沼 隆

論語の一節に有名な次の言葉があります。

先生が言われた。「わたしは15歳で学問に志し、30になって独立した立場を持ち、40になってあれこれと迷わず、50になって天命をわきまえ、60になって人のことばがすなおに聞かれ、70になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった
金谷治訳注 『論語』岩波書店

論語というと古くさくて堅苦しい書物と思われているようですが、実際は、孔子とその弟子たちの生き生きとした会話が納められている実践的な書物です。実を言うと、私自身もある種の偏見を持っていて、これを読み始めたのは十数年前からです。たまたまご縁のあったある老師より、数年間にわたり、まさに手取り足取りで指導を受けました。そのおかげで何とか読み進めることができできるようになったのが実情です。その老師は、論語について、あるとき、「何か困ったことがあったり、迷ったりするときに論語を手に取るわけです。そうすると、不思議なことにその解決策が見つかるんですよ。」とおっしゃっていました。今は亡き老師ですが、論語について思いをはせるとなぜかこの言葉を思い出します。

さて、冒頭の論語の一節ですが、解説書などには、「人間の一生の成長の過程を説いたもの」とか、「孔子のような人物でさえも、人間として成長を遂げるにはそれなりの年月が必要」などの説明があります。もちろん、この通りだと思います。しかし、塾の中で子どもたち、特に高校生と接しているとひょっとしたら、もう少し踏み込んだ意味もこの中に含まれているのではないかと思うようになりました。

中学生の終わりから高校生になると、多くの子どもたちは人生の意味を考えるようになります。特に、最近では、個性尊重の風潮の中で、自分と他人を区分けする「自分らしさ」(アイデンティティ)を求める傾向が強まっています。高校生の中にはその「自分らしさ」を発見しないと、自分の本当にやりたいことがわからない、進路も決められない、あるいは、決めたとしてもその道を進んだのでは自分らしさが発揮できない、というふうに思い詰めている人もいるようです。そこまでいかないものの、漠然と、自分らしさという「青い鳥」を求める子どもは増えているようです。もちろん、そもそもその「自分らしさ」というものが、先天的に生まれたときから自分の中に自然に備わっているものなかどうか、あるいは、人生経験の中で後天的に「自分らしさ」が作られていくものか議論の余地があると思います。ただ、割合多くの高校生が、無条件に、前者の「自然に備わっているもの」と信じる傾向も強まっているのも感じています。

しかし、その議論はいったん置いて、論語の冒頭の言葉に戻ると、この言葉がこのように語りかけているのではないかと思えるようになりました。それは、人生において学問に志を立てるのは15才からである。15才より前に学びに目覚めたと本人が感じたとしたらそれは錯覚である。独立した立場をとれるようになるのは30才からである。それ以前に独立したと感じたらそれは錯覚である。同様に、人生に迷いがなくなるのは40才からであり、自分の天命を知る、すなわち、自分の人生の目的を知るのは50才になってからである。それぞれの年代の前にそうなれたと感じたのならそれは錯覚である………

そもそも、高校生が求めるいる「自分らしさ」の探求は、本人がそれに気づいているかどうかは別にして、自分自身の使命(天命)の探求です。自分とは何か、自分にしかできないことは何か、自分を一番幸せにするものは何か、自分が社会で役立つ本当の道は何か、などの問いは天命の探求に他なりません。そうであるなら、論語の語る50才で達成すべき人生の課題を10代で求めていることになります。こう考えますと、答えが見つからない、あるいは、この糸口すら見つからないのは当然ではないでしょうか。
平均寿命が延びる中、今や、成人式は30才になってからでも遅くはないと言われています。このような中で、これに逆行するように高校生たちが人生の目的追求に焦っています。何か矛盾を感じてなりません。私の論語の解読方法が正しいのかどうか全く自信ありませんが、こんなことを子どもたちの語りかけていきたいと考えています。

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