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                            講師 山内雄司

入試が近づくと、ふだんの学習や模試の結果などを受け、志望校に対して合格の可能性がどれぐらいなのかが見えてきます。この時期、悩ましいことの1つが、目標を極端に高く設定するケースが出てくることです。一般的には高い目標を設定することは良いこととされます。ただし、目標が無謀であった場合、無責任に「行け行け」とは言えません。本人や保護者様の希望などを鑑みて、他の学校を勧めることもあります。

しかし、生徒の中には、このような助言を受け入れられないときもあります。「今までこの学校を目標にやってきて今さら気持ちを切り替えられません」「志望校を変えるのは弱さがあるからで、そんな自分になりたくありません」………というのが一例です。

このようなとき、私も苦渋の決断を強いられます。事実は事実として伝えますが、最終的には本人とご家族の思いを尊重して、全力で子どもに寄り添って伴走します。

しかし、それはそれとして、生徒からこんな言葉を聞くときがあります。
「この学校を目指して死ぬ気でがんばります!」

 この言葉を聞くと、生徒の本気度を前にしながら不謹慎ではありますが、「この生徒は精一杯やらないかもな……」と思ってしまいます。そもそも私は、言葉通り「死ぬ気で」努力をした人を見た経験が滅多にありません。これは子どもに限った話ではありません。大人の場合も同様です。

「死ぬ気でやる」という言葉は、昔日の人々には現実味の高い言葉だったかもしれません。戦争や飢饉、それに疫病など、生活の身近に死がありました。だから、「死ぬ」というのは皮膚感覚で捉えられるような差し迫ったものだったに違いありません。でも、これを現代の日本で生活している私たちが理解するのは難しいことだと思いますし、むしろ、今の平和を喜ぶべきかもしれません。

 ただでさえ、理解しにくい「死ぬ気でやる」ですが、この言葉を使わなくとも「全力でやり続ける」「我武者羅にやる」「かなりの苦痛が続こうが構わずにやり遂げる」などの言葉を用いていいとも思います。でも、言い方を変えても同じです。自分を変えるのは簡単ではないからです。

 ピアノを練習していない人がいきなり演奏することは不可能です。同じように、「全力でやり続ける」練習をしていない人は、死ぬ気になれませんし、我武者羅にもなれません。ふだんから全力でやり続けて、失敗をして、修正をして、はじめて実践できるようになります。

 しかし、子どもたちもいつか、「(死ぬ気で)全力でやり続ける」ことが求められるときがあります。そのときに実践できるように、ふだんから「全力でやる」練習を積んで欲しいと心から願います。塾は勉強を通じて全力の場を提供するところです。文字通り、子どもたちが「死ぬ気」でできるようになるよう、私自身も「死ぬ気」にならねばと反省しています。

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