このところ、子どもたちの鉛筆の持ち方が気になっています。
傍から見ても、さぞかし書きにくいだろうなぁと思い、声をかけるケースが以前よりも増えてきました。これでは、せっかく頭が回ろうとしているのに、筆記が追い付かず、思考も整理されないだろうとハラハラしています。
今の小学生、中学生が鉛筆の持ち方の指導を充分に受けていないのだということもわかります。
鉛筆の持ち方について、最近特に気になっているのには理由があります。
それは、「生徒の自己流」をどこまで認めるのか、という問題と関わっているからです。
「自己流の鉛筆の持ち方をしていても、書けているし、この問題も正解を出せたのだからいいじゃないか。」というのは、これから先、どれだけ水準の高い学力を身につける必要があるのか知らないことが原因です。学年が上がり、より学習が厳しくなっていくことに追いつけなくなることを彼らは知らないのです。
シャープペンシルの普及がその悪い傾向に拍車をかけています。きちんとした人間工学に基づいていない設計のものを使い続けていれば、正しい書き方を身につける機会も失われます。「握りやすい設計」と謳っている製品でさえ、それぞれのメーカーでバラバラであり、信用に値しません。
「自己流でもできているからいいじゃないか」という考えが身につくと、目の前の基礎を目的と勘違いする考えに結びつきます。
子どもの自主性、子どもの選択の自由、といった問題と、高水準まで通用する基礎量の定着とは、全く別の問題だと思い、今日も子どもたちの鉛筆の持ち方に目を光らせています。