つい先日(6/27)ショッキングな現場に居合わせました。
私は朝から資格取得のための講習に出席しておりました。
昼休みになり会場のあるビルの外に出ると、多くの警官や消防車が交通規制をしています。
巨大に膨らんだクッションがあり、その上方を見ると、ビルの屋上に策を乗り越えた白いワイシャツの男性が身を乗り出して、今にも飛び降りるか、という状態です。
たちまち周囲は群衆が集まり、警官が立ち止まらないように声を張っています。
屋上の男性は状況からすると若い社会人のようです。遠くに小さくしか見えませんが、それでも彼の絶望感や悲壮感が伝わります。
結果から言えば、警官の説得により救出されたのですが、私には大きな影が残りました。
彼は何のために勉強してきたんだろう?
彼の心中は私にはわかりませんが、少なくとも彼にとって長年続けてきたであろう勉強が、強く楽しく生き抜くためではなかったようです。
勉強がオトナから与えられた義務だとか、入試のためだとか、そういうものでしかないなら、このような悲劇の抑止力にはならないのでしょうか。
勉強はそんなものではありません!
私たちは、キャリア教育や学力の基礎作りに力を注いできました。
強く楽しく生き抜くための勉強、それを追求するしかない、と思いを新たにしました。